今回は東京大学大学院教授のロバート・キャンベル氏を講師にお迎えし、『「生きている」と実感できる日のために ― 歴史と自分との接点がどこにあったか、しばらく考えてみよう― 』と題してご講演いただきました。
始めに、内閣府の調査結果を引用され、現代の20代の若者は、現在の生活に対する満足度は高いのに、「生きている」という実感を持っている人は少ないのではないか、「生きている」と実感するためには何が必要か、歴史を通じて何か見えてくるものがあるのではないかという問題提起をされました。
そして、キャンベル氏自身の考えとして、「生きている」と実感するのは楽しいと感じている時よりも苦境に立たされた時であり、それを乗り越えた時、あるいは乗り越えようとしている時こそが最も「生きている」と実感できる時ではないかと話されました。
次に、日本文化における苦楽の思想について、「楽あれば苦あり」ということわざを挙げられ、英語にも「Every cloud has a silver lining」(暗い雨雲にも「銀の裏張り」がある)という類似した表現があるが、欧米では苦楽は二律背反的で、苦の後に楽がやってくるという関係性であり、苦楽が表裏一体の切り離せないものとして存在しているという考え方は日本独特の考え方であるということを話されました。
その上で、日本人がどのように苦楽を感じ、表現してきたのか、いくつかの文献を挙げながら紹介されました。
まず、獄中で毎日蟹の絵を描く士族の男性について書かれた明治時代の新聞記事を紹介され、苦しみの中でもその時々の楽しみを見つけることで、日常生活の中の小さな楽しみが明日を生きる糧になるという話をされました。
また、江戸前期の僧侶である沢庵禅師の言葉を引用して、「寝るほど楽はなし」とはいうものの朝から晩まで寝ていろと言われると「すなわち苦なり」。寝てばかりいる状態が苦と思った瞬間に、「起きるは楽なり」となる。「中を得るときは、即ち是れ真の楽也」というように、「楽」には「上中下」のランクがあり、中位の楽が一番良いと話されたことは非常に興味深いものでした。
次に、キャンベル氏も好んで読まれているという江戸時代の儒学者広瀬淡窓の漢詩「桂林荘雑詠諸生」が紹介され、苦労の中にも仲間と役割分担をしながら助け合う楽しみを解説されました。
最後に、「たのしみは」で始まり「時(とき)」で終わる形式で日常生活のささやかな楽しみを52首の和歌で表現している、江戸末期の歌人橘曙覧の「独楽吟」の中の歌をたくさん紹介されました。どれも現代を生きる私たちにとっても共感と親しみを覚える内容で、時代を超えても変わらない楽しみの本質や日本人の感性、生き方について、改めて教えられました。
講演後、学生を代表して人文学部日本語日本文学科の本田麻美(ホンダ アサミ)さんが感謝の花束を贈りました。会場は学生、教職員に加え市民の方々も多数参加され、約980人がキャンベル氏の話に耳を傾けました。キャンベル氏のご厚意でサイン会も開かれ、盛況のうちに教養講演会を終了しました。
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立ち見が出るほどの盛況ぶりでした
講演後、花束を受け取るキャンベル氏
出発ぎりぎりまでサインをしていただきました
衛藤学長とともに
「第10回今を生きる教養講演会
(ロバート・キャンベル氏講演会)
ポスター」PDF |